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なぜか知れませんが、ウエブ上では、この知能犯の犯罪組織に関してこのブログポストの掲載して初めて日本語における情報になります。
時間がないため、既に別のポスト
(https://kyoto-inside-out.blogspot.com/2020/04/complaint-to-wipos-internal-oversight.html)
に公開している英語版の日本語に訳した日本語版を、部分的にアップして、徐々に完成させていただきます。
Former Deputy Director of WIPO James Pooley's report against Francis Gurry, Director General of WIPO, translated into Japanese for the first time (for public consumption, at any rate).
日本語版(段落1~12)
⒈ 私は,WIPOの事務局長であるフランシス・ガリ氏(Mr. Francis Gurry)が重大な不正行為を犯したことを確信し,ここに報告いたします。特に重要であると考えるのは次の2点です。
⑴ WIPO上級職員らから,彼らの知らないところで,或いは同意なくDNAを採取して基本的人権を侵害し,また事件についての証拠を隠滅し,調査を妨害したこと
⑵ 最近,ガリ氏の知人が経営するとあるオーストラリアの企業に業務の発注先が変更されたが,この企業が入札手続きを経ないで業務を受注していると言う汚職の証拠
この二つの問題点について,以下に詳細を説明します。
⒉ 私は2014年11月30日までの任期でWIPOの副事務局長を務めておりますが,この2014年の時点において民間での仕事に戻ることを考えており,WIPOにおける契約更新や国連において他の役職を求めようとはしていません。私がこの報告書を作成するのは国連に対する忠誠を尽くすため,そして全ての職員に課せられた不正行為報告義務を果たすためです。
⒊ 私が上司の不正を間近で見つつ沈黙を貫くことは,その不正行為に加担することと同じであると考えます。WIPOのトップにある者としてそのリーダーシップの重要な意義を認識しつつ申し上げるならば,WIPO事務局長の事務局の権限が実質的に監督されていないことについて,2007年,前任のアメリカの代表者は「WIPO加盟国及び職員らは高いプロフェッショナリズムと倫理観を持った組織を備えるに値する」と述べていました。加盟国のほとんどは,伝統的に法的・政治的な手続きにおいて,透明性と帰責性を重視しています。そして政府高官が処罰されないことを激しく憎みます。個人的なレベルにおいても,私の弁護士としての40年余りにわたる訓練と経験が,汚職を明るみにしてこれに抵抗することを要求しています。
⒋ この報告は最近のある出来事に触発されました。DNAの盗難に関して,まず第一に2014年5月1日付のLe
Temps-onに掲載されたある記事について(原典のフランス語版と英訳版とを,証拠1及び2としてそれぞれ添付します),第2に,2014年5月1日にガリ氏によって開かれた記者会見(Intellectual
Property Watchに掲載されたこの記者会見についての報道のコピーを,証拠3として添付します)について言及したいと思います。両報道において,ガリ氏はDNA事件について追及されていますが質問をかわしました。彼は疑惑を否定するよりもむしろ,追及を根拠の無いものであると断じました。しかし後に明らかにするように,この発言は明らかな虚偽です。
しかし最も重要な点は,彼は事件について追及するメディアを逆に攻撃し,「些細なこと」に過ぎないと述べたことです。個人のDNAが盗まれた事件を「些細なこと」に過ぎないとして取り合わないというガリ氏の態度は,完全に道徳的な一線を越えています。なぜなら個人のプライバシー権とは,市民的及び政治的権利に関する国際規約だけでなく,世界人権宣言にも保障された基本的人権であるからです。これらの人権規定に対する違反,あるいは違反を矮小化することは,国連の掲げる基本的な理念にも矛盾しています。
⒌ 私はここに報告する事件が国内法及び国際法に違反していること,ガリ氏の言うように「些細な」基本的人権が危機に瀕していること,このような違法行為が加盟国の介入の不在を招き続けることになると確信しています。
⒍ 2007年,当時WIPOの事務局長であったKami I Idris氏がこの職に就任するにあたり,年齢を偽っていたことにまつわり論争が起こりました。1985年からWIPOに属していたガリ氏は当時は副事務局長に就いていましたが,それ以前はIdris氏の法律顧問の職にありました。彼はIdris氏が2008年に予定されていた特別選挙で再選されることを望んでいました(証拠4の強調部分を参照のこと;ガリ氏が提出した苦情のコピー)。
⒎ 2007年の10月,3つの匿名の文書がWIPO内の様々な人に配られました。そこにはガリ氏及びその妻による財政的そして個人的な不正行為が,幾つかは非常に具体的に暴かれていました。ガリ氏はこれを刑事的な名誉毀損事件であるとして,匿名の者らを相手方として直ちにスイス当局に苦情申し立てを行い,捜査を求めました(ガリ氏の2007年10月12日付「苦情申立書」のコピーを,その添付書面とともに証拠4として添付します)。
⒏ スイス警察当局とのやり取りにおいて,ガリ氏及びWIPOのセキュリティ部門の責任者であったJan
Van Hecke氏は,配られた文書には指紋とDNAが付着していることを知りました。Van
Hecke氏は,2008年2月8日付でIdris氏に覚え書きを送り,スイス警察当局に対し,文書を受け取った,或いは触ったと考えられる24人のWIPO職員に直接接触をする権限を自分に付与するよう求めました。私の聞くところではIdris氏は,元裁判官で彼の事務局の主席であったMichele Weil-Guthman氏の助言の下これを拒否したということであり,Weil-Guthman氏はその理由として,WIPO職員としての免責を正式に解除されることなくVan
Hecke氏がこれを行うことは不適切であると考えていたようです。ガリ氏が第一にDNA比較を彼の疑惑を晴らす最適な方法であると考えていたこと,そして第二に上司であったSherif Saad allah及びCarlotta Graffignaらが例の匿名文書の責を負ったことは彼にとって不運なことでした(これに関連する事実についての「覚え書き1」のコピーは,私の知るところでは一級の証拠資料です。その一方で、私がある事実について「知っていた」或いは「把握していた」と述べるとき,それは個人的にその事実を知っている誰かが私にそれを明かしたということを意味します。2008年2月8日付の,外交免責と法医学調査についてのその文書を証拠5として添付します)。
9. 2008年2月13日,Idris氏の後任を選出する選挙で,オーストラリアがGurry氏を候補者として指名しました。それとほぼ同時に,Gurry氏は自らが選出された場合に,WIPOの上級職員であるBinying Wang氏とGeoffrey
Onyeama氏を副事務局長に指名するつもりであることを私は掴んでいました。
10. 2008年3月初めのある時,WIPOのセキュリティ部門の一員であるDrew Donoven氏(彼は2008年2月8日付の覚え書きに添付された報告書の作成者でもあります)は,Saadalah氏,Graffigna氏,そしてWeil Guthmann氏のオフィスに忍び込んで彼らのDNAが付着していそうな物品を捜索し,タバコやキャンディの容器,口紅,デンタルフロス,テープやホッチキスといった私物を持ち去りました。これらの物品が3月17日以前にスイス警察に持ち込まれたことは,ジュネーブ大学病院による法医学分析レポートにこれらの証拠が反映されていることから明らかです(2008年6月9日付のジュネーブ大学病院のDNA分析レポートのコピーを証拠6として添付します。3ページと5ページの強調箇所は,DNAがDonovan氏がオ フィスから持ち去った物品のいずれかから見つかったものであるこ とを示しています)。この3名の職員らは,いずれも調査について許可を与えていないことはおろか,このような事実があったことすら知りませんでした。
11. 2008年5月13日,調整委委員会において,1票差(42票対41票)でGurry氏が事務局長候補者に指名されました。この投票は,9月に開催される総会で全ての加盟国による承認を受ける必要があります。
12. これと同じ日,スイス代表部はIdris氏に対し,WIPOの10名の職員が面接を受けることを条件に,彼らの免責を解除してもよいと文書で通知しました。この10名がどのように選ばれたのかは不明ですが,ここにはSaadallah氏,Graffigna氏,そしてWeil Guthmann氏の3名が含まれていました(なお後者Weil
Guthmann氏は,2月8日付の覚え書きに記された調査対象の中には含まれていませんでした)。この文書に基づき,5月15日,この10名の職員全員に加え,Gurry氏の免責が解除されました(2008年5月13日及び同月15日付の文書のコピーを証拠7として添付します)。