Tuesday, June 27, 2017

邦楽の魅力 (The Appeal of Traditional Japanese Music)

This is a sketch of some of my thoughts about the Japanese music that I have been studying for the past 16 years or so, and ties it in with related research on history, religion, etc. This was written for the newsletter of a shakuhachi group with which I have been affiliated for the past ten years or so, and had been scheduled to be published this month, but publication was delayed for vague reasons. 

I don't have time to produce an English version of it at present, but hope to make time in August or September. It will probably help to add a little exegesis... 

I have already posted on this blog about the recent infiltration of that group by the Swiss woman and the teacher she appears to be a conduit for financing. The infiltration of the shakuhachi music world by the CIA et al., is part and parcel of the lawsuit, and I have also presented some of the material submitted to the Court in relation to the religious angles being worked, etc., with a concrete example of a disinformation publication by an individual named as a defendant.

As you can see, the text is not that long. As with everything else on this blog, all rights are reserved under applicable copyright laws.   


表題について、筝のように間を散らして、文字を獅子のように白紙に躍らせる私の文に読者は期待されるかもしれません。
言うまでもありませんが、「邦楽」の「邦」は「国」を意味します。日本が島国である歴史的特徴の一つは、大陸から文字・儒教・仏教等が導入されて以来、長い間他国との交流が少なく、独自の道を辿り発展したことです。
古来より日本にある音楽は、雅楽をはじめ様々なものが記録として残されています。雅楽は宮廷の音楽で、中国から韓国へ、韓国から日本へ伝わり、三種の雅楽が伝承されています。また、奈良・平安時代には今謡、催馬楽等の音楽もありました。歴史的に見ると、日本の宮廷が国を統治したのが平安時代までだとすれば、歴史の遷移で、新たに「鎌倉仏教」等、音楽も含み様々な文化が発達するようになりました。宮廷の祭事と共に雅楽が継続的に伝承されながら、広い社会の中で、例えば平家琵琶のように歴史的な内容自体を伝える新たな語り部文化が現れました。なお、平家琵琶に使われる琵琶もそうですが、琴と尺八は、共に雅楽の楽器を由来とした琵琶と同じように改良されたものなのです。
仏教は鎌倉時代に庶民に普及しました。京都で初めて臨済禅宗のお寺である建仁寺を創建したのは、将軍である源頼朝でした。次に室町時代に将軍である足利義満は同じ臨済禅宗の相国寺を創建しました。そして、遁世者、天台宗、臨済宗の僧侶等の協力も得て、神楽等の影響を受けていた猿楽の更なる発展として、平安時代に遡った歴史・文化が織り込まれる能楽が新たな文化として京都で繁栄しました。江戸時代に生まれた邦楽のジャンルである三曲に能楽に基づいて作曲されたものがあります。能楽と並行して伊勢物語、源氏物語、平家物語等から作れたものも多くあります。それに加えて、能楽でも表現されている臨済宗の方便[1]に対する取り組みは、徳川家も臨済宗を擁護することにより、江戸時代に新たな文化として琴古流尺八が花開きました。現時点で邦楽の一つのジャンルとして知られていますが、本来は禅宗瞑想の一つでした。ちなみに、室町時代の一休禅師は京都の近辺で尺八を吹き、古典本曲の作曲をしていたと推測する学者もいます。吹禅は音による遊びではなく瞑想の一種であるため、それぞれ本曲に込めた仏教の教え・精神を、尺八を吹くことにより知り、音で伝える文化でもあります。尺八の本曲は禅宗修行の一種である一方、上級者は本曲を吹くことで仏教の教え・精神を伝える方法でもあるゆえ、神楽と同様宗教音楽として取り上げられることもあります。このように邦楽はジャンルが数多くあり多様です。
三曲の、本曲との違いは、元々音楽として発展したことです。作者の感情を込めた歌詞と旋律は、奏者が自身の感性も込めて音で表現し、最終的に鑑賞者の心にも共鳴して響かせるものです。歌詞に歴史的な内容も反映している場合、それに対して作者が注いだ印象、情けに基づいて作詞されているので、音楽を鑑賞しながら歴史、宗教にも触れることが魅力的な点の一つです。また、地歌・筝曲の歌詞に「歴史」が表現されているのは、狭義の意味だけでなく、文化の発展自体を取り上げている曲が多い。例えば、和歌の選択集に基づいた歌詞が作曲テーマになっている曲「八重衣」等や、何らかの倫理的な内容、歴史的な場面が主体の「小町もの」、雰囲気を映す「都の春」など、文化の歴史にも触れることができます。
要するに、邦楽には、歴史とその流れで生まれた文化と、それにより反映されている思想・美的感覚がそれぞれ共存し、時代を経て繰り返し同じ内容を新たな題材として取り上げて再認識させる魅力があります。三曲音楽の旋律を聴くと、当時の人の感性を多次元的に想像でき、演奏を鑑賞することにより伝承されていきます。
現在、マスコミは一元的な価値観の押し付けにより、歴史的背景なしにゼロから始まったかのように錯覚させる。それに対して邦楽は歴史・文化の背景も広がっていくように、人々に奥深い響きを与える。他国の伝統的な音楽もそうですが、日本は長い鎖国によって独自の文化が発達しました。歴史的な内容は様々なジャンルで繰り返し使われ、伝承の形態・様式について参考となります。
具体的な例として、私の研究テーマに関連した「源融」という人物が能楽、三曲共に出てきます。源融は源氏物語で主役のモデルになった人とも言われています。嵯峨天皇の皇子として生まれ、清和天皇の次に皇位継承資格を有するものして名を連らね、宇多天皇の左大臣を勤めた人物です。源氏物語だけでなく、当時の公家で権力競争があったため、秘密裏に記録された「四鏡」最初の作品となる「大鏡」にも登場しています。このことは、物語より実際の歴史の方が興味深いと思われます。しかし、三曲と能楽の曲である「融」の研究に関して、さらに別の時代の人達の解釈・考え方等をみると、より深く理解することができます。邦楽は、異なる分野である私の研究が出会って相乗効果となり、さらに魅力を増やします。
上記のように三曲は和歌、伊勢物語、源氏物語、能楽、説話等に基づいて作曲され、幅広い文化のテーマが取り上げられていて、歴史を勉強していなくても、知れば知るほど自分の視野が広がり、皆さんとより深く語り合えるのも楽しいことです。代表的な曲である「茶音頭」の歌の、「世の中」の声を聴くと、昔と今で変わらない共通点があり、共鳴的な響きで連続性を表現しており、これらが邦楽の魅力です。(提出4252017)

No comments:

Post a Comment